ティラノサウルスから小鳥へ

~ガンというギフトをいただいて変化した人生~

 

~~はじめに~~

こんにちは♪

有機無農薬の清水農園、歌と笑顔の台所でお料理と食について伝えています、

清水尚代と申します。

バリバリのOLから一転、9代続く農家の長男と結婚し、ミラクルワールドの中二人の息子達を育てて、気づいたらガン(^^;

手術はしたものの、その後お医者様と袂を分かち、食事と心の持ち方にとり組んで、嘘のように元気になってしまったお話しをさせて頂きます。

ガンは怖い病気ではありません、今は二人に一人が癌になると言われる時代ですが、いろいろな方法で治っている方も沢山います。

中には、ガンを自分で消してしまう方も居るんですよ!!

この小冊子が、どなたかのお役に立てたら幸いです

 

  1. ガンがやって来た!!

都会から農家の長男のもとに嫁いで十数年が過ぎていました。

息子達が小学生の頃、私は時間が出来ると軽トラで主人の野菜の配達を手伝うようになっていました。

次男が小学校5年生の時、PTAの副会長の任が回ってきました。

仕事をしているお母さんと違い、家で仕事をしている私のような存在は、役員さんが回って来やすい立場なのです。

ところがその頃、3.11の影響などもあって、野菜の配達が減っていました。

私は外にパートに出る事になり、慣れない外での仕事とPTAの副会長の仕事を抱えることに・・・当時我が家の長男は葛藤の中に居ました。軽度発達障害があり小学校4年生からいじめ問題が勃発して小学6年生から不登校になっていたのです。中学生で反抗期も重なり、夫のサポートはありつつも、私の仕事量とストレスは限界点を超えていました。

週に五日は、買ってきたお惣菜が並ぶ日々、私は大好きなキッチンに立つことがほとんど出来なくなっていました。

当時の私は、何時もイライラしていました。まるで地雷!!触れたら最後、ちょっとしたことでも大爆発。

反抗期の長男とは常に一触即発の状態でした。

PTAの任期は2年、その後半は身体がボロボロで、鍼灸師をしている主人の叔父のもと針治療に月2回通うようになっていました。最後は針を打っても全く効かなくなり、叔父に「お前、ここよりも病院へ行け」と言われていましたが、

「総会が終わって、任期が終わるまでは病院になんて行ってられないから」そう言って針治療を受け続け・・・

最後の総会が終わり、全ての任期が終わってホッとした矢先、癌が見つかったのでした。

  1. 手術と医師と女優な私

乳ガンは、右胸に2.5センチの大きさで発見!

ステージ2Bリンパにも入っているとのことで、医者からの診断は有無を言わさず即刻手術による全摘を告知。

悩む間もなく、あれよあれよという間に手術の日程と入院日が決まり。

このまま、医者の言うなりかな~~と思っていたら、夫から

「癌消した人の話聞きに行くぞ!!」の一言で、入院2日前、前立腺ステージ2Bを消した方の元へ

その方は、初めて会う私たちに、3時間もの時間を使って癌の治し方をレクチャーして下さいました。

一年間、仕事を休み、食事と心と手当だけで癌を消したその方のお話は目からうろこものでした。

・甘いものは一切取らない、ジュースももちろんダメ(砂糖はガンの餌)

・野菜と玄米中心の食生活とし、動物性タンパク質は摂らない(動物性タンパク質は癌のエネルギーとなる)

・身体を冷やさない(癌は冷えた身体が好き)身体を温めるお手当てをする

・乳製品も卵も一切取らない

・ストレスをためない、笑顔で暮らす

・心穏やかな生活をする

・食事はよくかんで食べる

・早寝早起き、10時に寝て朝は5時起き

・一日1万歩歩く

・自分は癌を消せると信じる

・早めに医者と袂を分かつ、抗がん剤、ホルモン療法、放射線などの治療はしない

・癌について勉強する

・自分が源、自分のことには自分で責任を取り、自分で治すと決める

・ガンは自分に気づきをくれたプレゼントだと思えるようになる

有機無農薬で野菜を作り販売していた夫は、お客さんの話や身の回りの癌経験者をみていて、癌が医者の力や食事だけでは治せないことを理解していたようでした。

入院までの2日間でお借りした本を読みあさり、アマゾンで薦められた本を取り寄せてからの入院。

早速入院中も、動物性タンパク質は一切摂らず、乳製品も甘いものも摂りませんでした。そして極力痛み止めを使わずに、歩くことを心がけました。

実は、手術直後私は患部の痛みで麻酔から目覚めました。余りの痛みに、声を上げ

「先生、凄く痛いんですけど・・・どうしてこんな?・・・」

すると先生の返事は想像を絶するものでした。

「あ~~~、痛み止めね、病棟行くまで待ってね」

「へっ???・・・・嘘でしょ~~~~」

手術室から病棟に運ばれるまでの数分間、私は痛みでうなり続けていました。

余りの声に、病棟前で待機していた叔母が動転して

「ひさよ!!どうしたの???」と病室に飛び込んできたほどでした。

あとでわかったのですが、どうやら手術の終わる間際に入れるはずの痛み止めを麻酔担当者が忘れて来るというあり得ない事態?!

生身の身体を切られるってこんなに痛いんだ!!刀で切られるとこんなに痛いんだな~~~私、前世で誰かを刀で切ったのかも・・・出産よりはるかに痛い!そんなことを考えていました。

その後痛み止めを入れられても、痛みで覚醒した身体には、ちょっとやそっとの痛み止めでは効かなくなっていました。

「先生、全然痛みが楽にならないんですけど」と訴える私に医師は、

「あ~~~、じゃあもうちょっと強いのにするか・・・、これ終わったらね」

「へ~~~、マジですか???すぐ変えてよ~~」

やっと、次の痛み止めに変えてもらうと、意識が遠退いていきました。

そんな、あり得ないような痛みの体験をしたこともあって、術後の翌日、日中の痛みなんて屁でも無くなっていた私、他の患者さん達は、痛み止めがないと辛いと言う中、私は「切ってんだから痛くても当然だよね」くらいで、手術翌日から寝るときだけ痛み止めを飲み、歩き始めて下のコンビニまで行ってしまい、看護婦さんに怒られたほどでした。注意を受けつつも看護婦さんの目を盗んでは病院内を歩き回り、点滴がとれてからは、毎日外で1時間歩くことが日課になっていました。

入院中の病院では、元気なガン患者でした♪

退院後の診察で、担当医にホルモン療法などを勧められましたが、すべてお断り。

すると担当医には

「死にたいんですか!!」と言われましたが、そこは演技派の私

「だって先生、ホルモン療法はうつになりやすい副作用があると聞きました。私昔、うつ病だったことがあって、リストカットの経験があるんです。だから、怖いんです。自殺も成功したら死んじゃいますよ」

と泣きの演技で治療を回避!!

すると、敵も然る者ひっかくもの、次に病院に行った時先生は心理カウンセラーの笑顔を隣に

「この人にどんなことも相談して」と言われました。

医師は治療してなんぼの世界、当然治療を進めてきます。

しかし、本や体験者の声を通して、癌に対する医学の限界を感じていた私は、低調に笑顔でお断り。乳房再建手術も進められましたが、全身麻酔と聞いて

「先生・・・全身麻酔はもう二度と経験したくありません」

と目を潤ませると、先生は何も言えなくなってしまいました。

私はそれ以降、その大病院に診察に行く事はありませんでした。

  1. 長男発病と食事療法

退院して、数週間後、全身生姜罨法と言って、半身浴のあと、生姜を絞って温めたお湯に浸したタオルで身体を温めるお手当てがあるのですが、そのさなか、ほぼ全裸状態の時、長男が自宅で倒れました。

けいれんを起こし、泡を吹いて・・・裸で真っ青になりながら、電話で救急車呼んで、夫を呼んで・・・

てんかんの発作でした。私の発病から一月経たないうちに、長男もてんかんを発病したのです。

その頃、次男と夫はアンパンマンとマシュマロマンのようにぶくぶくのオデブと化していました。

2年間、食生活の乱れが、家族全体の健康を脅かしていると気づいた我が家!!それからは、有無を言わさず。玄米菜食の日々に突入していきます。

始めは食事療法の先生についてのスタートでした。

玄米菜食を始めるようになって便秘はなくなりましたが、私は体中出てしまう湿疹に悩まされるようになります。頭の先から足先まで真っ赤に湿疹が・・・

昔、私が甘いものや乳製品を食べて長男に授乳すると湿疹を出していた状態が、今回は自らに・・・甘いものや小麦製品はてきめんでした。

油を減らしたり、塩分を減らしたり、言われたようにやってもなかなか良くならない・・・お手当てのびわば温灸や生姜罨法を1日でもサボると発熱したり、口内炎になったり、免疫力の無い身体でした。

そこで、食事療法の先生にゲルソン療法を勧められます。

ゲルソン療法とは、動物性タンパク質だけでなく、完全に塩分を抜くという食事療法でした。1日目からかなり辛い体調でした。3日目には、身体が全く言うことをきかなくなり、立ち上がることもおぼつかないほどに・・・そこで食事療法の先生に

「死にそうなほど辛いんですけど」と訴えると、

「あっ、そう?!合わないのかな~~~じゃあ辞めようか」とあっさり言われた一言で、なんか違う!!自分の身体なのだから、自分で責任もって自分でやらないと!!そう決めて自分に合う食事を探し始めました。

  1. 心の病と玄米菜食

癌は、食事だけでなく心も関連する病です。

最初に関わったガン患者学研究所というところで、私は自分のものの捉え方、考え方のクセが癌になったことを学びました。

それと同時に、本気で自分を変えなければ、何度も何度も癌はやって来る。

癌が私に何を気づかせようとしていたのか、私は自分の心の闇とも向かい合わなければいけませんでした。

苦しくなると何時も、死を望んでしまう厭世主義的な自分

幼い頃からの両親の不仲や離婚、母の厳しい教育の元、私は自己肯定感がほとんど育っていない状態でした。母との親子関係は最悪なものでした。わたしは、幼い頃ずっと母が角を隠しているんだと本気で思っていました。鬼だと思っていたのです。

右胸にガンができる人は、母親との関係に問題を抱える人が多いと学び、うなずけました。

しかし、身体が辛い頃は、自分の心と向き合う余裕はありませんでした。

食べることが大好きだった私にとって、パスタもパンもケーキもピザも食べることの出来ない玄米菜食、食事制限の日々が辛く苦しいものになっていたのでした。また玄米を食べると下痢をしてしまいなかなか整わない腸で、酵素玄米も取り入れてみましたが、食に対する淋しさは募るばかり。

そんな時、私はつぶつぶ雑穀料理に出会うことになります。

友人のライブで市内に住んでいたつぶつぶ料理コーチと出会い、彼女の料理教室に通い出してから私の雑穀ライフが始まりました。

玄米菜食に辟易していた子どもたち、長男はお弁当が美味しくないと行って、玄米のおにぎりしか持って行かないような状態でした。

  1. つぶつぶ雑穀料理と出会って

つぶつぶ雑穀料理を初めて習ってきて、家で作ると子どもたちに

「明日から、玄米辞めてこっちにして!!」と言われました。

つぶつぶ雑穀料理には、パンもピザもパスタもありました。身体に良いと言われるスイーツも選り取り見取り。

不思議な事に、ここのパンやピザやパスタは、食べても湿疹がほとんど出ない。どうやら、雑穀と一緒に小麦をとる事が、小麦に対するアレルギーを中和しているようでした。

ただ、疲れていたりするとやはり小麦製品は湿疹を出すこともありました。

でも私にしてみたら、ハンバーグも餃子もミートソースもオムライスも雑穀で作れてしまうつぶつぶ料理は、まるで魔法の玉手箱!!ワクワクしながら料理方法を学んでいきました。

すると、数ヶ月で身体に変化が現れたのです。

ガンの術後、抵抗力や免疫力を無くしたかのように、発熱や炎症が至る所に起こり、びわば温灸や生姜罨法などのお手当てを毎日しないと、具合が悪い状態が続いていました。

それが、気がつくとお手当てをしなくても発熱したり、口内炎や歯肉炎、腎盂炎にならない!!

終いに、火傷などをしても、自然療法だけで数日で治ってしまうのです。風邪をひいたりする事もめっきり無くなって、元気なのです。

雑穀で身体から毒素を排出し、海水から作った天日塩など良い塩をしっかり摂って、玄米菜食で使うメープルシロップやアガペーシュガーなどの砂糖も一切辞める。発酵食品や甘酒をしっかり摂ることで、腸内環境が整ったのでしょう。

癌になる前は、下剤や浣腸がないと出せなかったことが嘘のように毎日快腸に。また、適度な運動が大切なことも身をもって体験出来ました。

その頃になると息子も、お弁当箱で普通に詰めたつぶつぶ雑穀料理のお弁当を持って行くようになっていました。

  1. 心と向き合って

元気になると、自分の心と向き合う余力も出てきました。

本を読んだり、心と向き合うためのメンタル講座に出ているうちに、少しずつ母への怒りが消えていくのがわかりました。それと同時に、自分への自己肯定感をどう育てていったら良いのか、自分で自分を愛する事がようやくわかり始めたのです。

料理を教える資格を取りながら、母と向き合うことにも時間を使い始めました。母を理解しようとする気持ちが芽生え始めたのです。

ずっと逃げていた、母の借金と老後の問題も取り組む決心をして、母の借金をすべて洗い出し、家を売りたがらない母を説得して家を売る手続きを進め、家を売ったお金で一千万円以上あった借金をすべて返済し、母の要望通りのマンションを探して、引越片付けを夫に手伝って貰いながら、一人っ子の私はほとんど一人で片づけました。その間、お金がいくら残るのか不安な母は、私を罵倒したり威嚇したり、遂にはストレスで入院・・・心理的に爆発しないように母を受け入れながらの作業はかなり私にとってのストレスでした。夫は私の再発を心配するほど、数ヶ月間私はヘトヘトでした。

その時私の大きな支えは、ひすいこたろうさんの本「犬のうんちを踏んでも感動できる人の考え方」を始めとする沢山の著書でした。疲れて帰宅すると本を読みまくる。本でエネルギーチャージです。

すべてを片付けて、母の引越も済ませて母が望んでいた温泉旅行に、私の運転で母一人娘一人で行きました。

旅先では、母が体調を崩して嘔吐してしまったり、漏らしてしまったりもありましたが、私は一切穏やかなままに対応出来ました。

一泊二日の旅でしたが、母が帰り際車の中で

「今まで生きてきて、最高に楽しい旅だった。明日死んでしまっても悔いは無いくらい。本当にありがとう」

と言われた時は、涙が止まらなくなりました。母も目を潤ませていました。

その日から、何が起きても母が私を罵倒したり、威嚇したりすることが全くなくなりました。

叔母たちにも感情を剥き出しにするところがあったのですが、それも無くなっていきました。

私が、母を愛している事が母に伝わったとき、「母が仏に変わりました」

今まで言われたことのない、母の優しいねぎらいの言葉が、母の口から聴かれるようになって・・・

かつて尊敬していた会社の先輩に

「お母さんを仏にするのはアンタだよ!!」

そう言われた言葉の意味が20年以上経ってやっと理解出来たのでした。

私は、癌で右胸を全摘しましたが、右胸に癌が出来るというのは、母親との関係性が大きく響いてくると言うことを、癌になって学び癌からのメッセージを受け取ることが出来ました。

それは、今ある自分を受け入れて、そして自分を変えていけば良いんだよ!ただそれだけと言うメッセージ。

母との関係性を54年生きてようやく解決することが出来たのです。

それは、ただ母を許すこと、そして、愛おしく感じられる事だけだったのです。

それが出来るようになったとき、自然と私は自分自身も許し慈しむことが出来るようになっていました。

両親の夫婦仲が悪く、毎日が源平合戦のまっただ中で、いつの間にか私は自分がいなければ、こんな喧嘩はないのかも知れないと思い込んでいたのかも知れません。

それが、自分を許せたとき、母のことも父のことも許せるようになったのだと思います。

  1. ガンからもらった贈り物

癌になって4年、今はすべて、癌がくれたギフトと思えるようになりました。

犬猿の仲だった姑とも実の親子に間違えられるほど、仲良く出来るようになりました。

すると不思議なもので、嫌いだと思っていた女性同士の人間関係も苦痛に思うことがなくなって・・・

お金も必要なタイミングで何時も必要な分は与えられるようになりました。

また以前からやりたかったバンドのボーカルを夫と二人でやれるようになりました。

今は、つぶつぶ料理コーチを卒業してノンシュガー&グルテンフリーの甘酒や雑穀、新鮮野菜を使った食事やアイスクリームやプリンやケーキを作ったりして、自宅でランチ会や料理サークルを開いて楽しんでいます。

斉藤一人さんの天国言葉を唱えたり、素敵な言葉を探したり、寝る前に必ずその日良かった事を3つ思い浮かべて寝たり出来るようになりました。

そんな私の変化を息子達も認めてくれています。

「以前の母さんは怒るとティラノサウルスくらい恐ろしくて手がつけられなかったよ」

「え~~~、ティラノサウルス?じゃあ今のお母さんが怒るとどんな感じ?」

「そりゃ~~、小鳥のさえずりでしょ!!」

次男との会話です。

長男の発作もここ2年起きることもなく、大学生の彼は穏やかで優しい息子に育っています。

癌がくれた最大のギフト、それは母との和解と穏やかな心、そして幸せに感謝出来る心でした。穏やかな幸せの日々が、私の元にようやくやって来て、生きていることが嬉しく、感謝出来るのです。

他界してしまった父には、毎日水をあげてお線香を供え、命をいただけたことや免許を取らせてくれたことなどを感謝して手を合わせています。

最後は、借金まみれでなくなった父の葬儀は淋しいものでした。私よりも連れ子の娘を溺愛した父でした。何度父に棄てられても、私は父が大好きでした。

今考えると、あの父からいただいたものは、沢山あった、父は父の人生を彼なりに一生懸命生きてきたのだと今は思うことが出来ます。

どんな環境に生まれたとしても、どんな逆境に置かれたとしても、人はそれを乗り越えようと本気で決めたとき、必ず天が味方してくれる。

だから何があっても、あなたの人生をあなただけは見捨てないで下さい。

あなたなら必ず出来る!!

そしてその先に幸せがやって来るのです。

~~感謝~~

今振り返ると、すべてのことが感謝に通じていると気づかされます。

PTA副会長時代の事も、嫁姑問題も、両親との確執も、自分を認めてあげられなかったことも、すべて今につながっていると思うと、感謝以外何者でもありません。

女手ひとつで商売しながら私を育て続けてくれた母

遠く離れながらも私を見守っていてくれた父

あの両親の元に生まれたからこそ、今の自分があって、夫に出会うことも出来たのだと思います。夫に出会えたからこそ二人の息子達にも出会うことが出来ました。

結婚して20年以上の時間、足らないところのある私を見守り続け、必要な時に常に必要なアドバイスをくれて、私を導き続けてくれる夫

そして何時も私を愛し見守り続けてくれた母の妹である叔母達や亡き祖母

不出来な嫁と思いつつも、何時も見守り続けてくれた舅姑

あるがままの母親を愛し続けてくれる息子達

 

そして、今まで関わっていただいたすべての方々に、また私を支えてくれた本を執筆してくださった著者の方々に心からの感謝を捧げたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

この文章を読んでくれた人すべてに愛と感謝を捧げます。

pastedGraphic.pngpastedGraphic_1.png

pastedGraphic_2.pngpastedGraphic_3.png

プロフィール

清水尚代(しみずひさよ)清水農園 料理部門担当

1965年3月16日、大阪市にて生を受ける。中学の時両親が離婚。

学生時代はディスニーランドで楽しくバイト、東京YMCA英語専門学校を卒業後、英語学校の受付秘書を経て、子どもに英語を教えたりしつつ、派遣社員で働いたり、デパートの経理、中華料理のフロアー、生コンの打設立ち会いの仕事などガテン系も経験。20代後半就職した資格試験の学校で、出会った先輩女性の教えを受け、仕事の面白さに気づく。一緒に起業しようと夢を持った矢先、有機無農薬で野菜を作る農家の9代目の主人と運命的出会いを果たし、仕事をきっぱり辞めて、農家の嫁になる。二人の息子に恵まれて、現在に至る。子どもがあきれるほどのラブラブな夫婦仲。

野菜の宅配、イチゴ狩り、収穫祭、料理サークル、ランチ会 沢庵講習会を行っています。清水農園最高の有機野菜のラインナップです。

春夏野菜品目: ほうれん草、かぶ、小松菜、ズッキーニ、玉葱、大根、長葱、バジル、枝豆、トウモロコシ、キャベツ、ブロッコリー、オクラ、モロヘイヤ、ピーマン、スイカ、カボチャ、なす、トマト、ミニトマト、四葉きゅうり、ジャガイモ、人参、レタス、サニーレタス、唐辛子、ニンニク、スナップエンドウ、空豆、その他

秋冬野菜品目:白菜、長葱、カリフラワー、ロマネスコ、ブロッコリー、レタス、サニーレタス、ジャガイモ、サツマイモ、里芋、八つ頭、ほうれん草、赤軸ほうれん草、小松菜、かぶ、春菊、大根、三浦大根、干し大根、沢庵、山東菜、白菜漬け、人参、赤カブ、イチゴ、その他

3月中旬から5月連休明けまでと8月中旬から10月一杯端境期で配達がありません。毎週水曜までに注文いただいて、その週の金曜日に配達、配送しています。

<参考文献>

~癌~

「ガン・治る法則」12ヵ条             著者 川竹文夫

いのちの太陽1~5                編著 藤井しのぶ

がんのセルフ・コントロール サイモントン療法の理論と実際

   著者 カール・サイモントン  ステファニー・M・サイモントン              

ガン治癒への道  サイモントン療法の新たな展開

          著者 カール・サイモントン  リード・ヘンソン

ガンが自然に治る生き方           著者 ケリー・ターナー

内なる治癒力 こころと免疫をめぐる新しい医学

         著者 スティーブン・ロック  ダグラス・コリガン

奇跡的治癒とはなにか           著者 バーニー・シーゲル

イメージの治癒力 自分で治す医学  著者 マーティン・L・ロスマン

自分を愛して!                著者 リズ・ブルボー

ライフヒーリング             著者 ルイーズ・L・ヘイ

~お手当て・食事~

からだの自然治癒力を引き出す食事と手当て      著者 大森一慧

一慧の穀菜食Book 手当法            著者 大森一慧

家庭でできる自然療法 誰でもできる食事と手当法  著者 東城百合子

治る力 市川式手当て 本編      著者 市川加代子  川竹文夫

日本人には塩が足りない               著者 村上譲顕

七つの食習慣汚染 真剣に生きたいあなたに贈る、真逆の真実

                         著者 大谷ゆみこ

ガンになりたくなければ「長生きエンジン」に変えなさい!

                         著者 藤田紘一郎

人の命は腸が9割  大切な腸を病気から守る30の方法

                        著者 藤田紘一郎

続健康自立力 ―後悔しない治療の受け方―      著者 田中佳

ジョコビッチの生まれ変わる食事     著者 ノバク・ジョコビッチ

~心・他~

犬のうんちを踏んでも感動できる人の考え方  著者 ひすいこたろう

ものの見方検定 「最悪」は0.1秒で「最高」にできる

                      著者 ひすいこたろう

あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問

                      著者 ひすいこたろう

The Best of  3秒でHappyになる名言セラピー             

                      著者 ひすいこたろう

明日が見えないときキミに力をくれる言葉   著者 ひすいこたろう

人生が100倍楽しくなる名前セラピー     著者 ひすいこたろう

あなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしてるんだぜ。1秒でこの世界が変わる70の答え 著書ひすいこたろう

50歳からの人生を大逆転             著者 心屋仁之助

心が楽になるホ・オポノポノの教え  著者 イハレアカラ・ヒューレン

こうすれば、夢はあっさりかないます!    著者 はせくらみゆき

原因と結果の法則を超えて          著者 はせくらみゆき

あなたはそのままで愛されている          著者 渡辺和子

初女さんが子育てについて伝えたいすべてのこと   著者 佐藤初女

夢が叶う金運お作法                著者 立石裕美

気がつけば御縁長者      著者 しもやんランド代表 下川浩二

斉藤一人 昇り龍に乗る!            著者 柴村恵美子